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最初の世界大戦 −七年戦争− |
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| ■1756年、初の世界大戦と呼ばれる”七年戦争”が始まる。イギリス軍はルイブールの要塞を奪還。フランス住民達を永久追放し、ケベック攻撃の拠点とした。更に、イギリスは五大湖とシャンプレーン湖周辺の砦を確保し、戦闘に備えた。 |
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| ■1759年、イギリスのジェームス・ウルフ将軍は、セントローレンス川を上りモンカルム侯爵と対決。モンカルムにはイギリス軍を上回る民兵がいたが、ウルフ将軍は更に上流へと進出し、家屋を焼き尽くし、ケベックに砲弾の雨を降らせた。しかし、イギリス軍は激しい抵抗に合い苦戦を強いられる。 |
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| ■最終的にウルフ将軍はアブラハム平原に兵士を送り込み、フランス軍に奇襲攻撃をかけて勝利を収める。 |
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| ■一方、フランス軍はモントリオールまで撤退し、反撃の準備に取り掛かる。1760年、フランス軍は反撃を開始、再びケベックを包囲した。フランス軍はフランス海軍の援護を待ち最終攻撃を準備していたが、現れたのはイギリス海軍だった。イギリス軍はケベック、シャンプレーン湖、オンタリオ湖から進軍しモントリオールを陥落し、最終的にイギリス軍の勝利となった。 |
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| 七年戦争終了後 |
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| ■戦争が終わりケベックにいたフランス人は軍人や高官以外は帰る場所がなく、この土地に残るしかなかった。イギリスにとって8万人近いこれらのフランス系住民は、あまりにも多く、この事実を維持するだけではなく、政策について強化しかなければならなかった。そこで、1774年にケベック法が可決され、イギリス人はカナダのカトリック信仰と国内法に干渉しない事を保障した。しかし、ニューイングランド人は敵であったフランス系住民が厚遇を受けることについて反発した。 |
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| ■1775年、アメリカ13植民地軍がモントリオールとケベックへ2つのルートから侵攻してきた。アメリカ軍は、カナダの地元住民である民兵が共にイギリスと戦ってくれるであろうと思っていたが、地元の民兵はイギリス側についてアメリカの侵攻を妨害した。 |
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| ■その後、アメリカの独立革命をさかいに、独立に反対した王党派アメリカ人が次々カナダへ入植を求めてきた。1783年にはその数が4万5千人にも膨れ上がり、ノバスコシアやケベック東部、オンタリオに定住して行った。 |
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| ■そしてついに、ケベックではフランス系住民の比率が低くなり、1791年その対策として、イギリス系住民が多い”アッパーカナダ”(現在のオンタリオ州)と、 フランス系住民が多い”ローワーカナダ”(現在のケベック州)と言う二つの州が誕生した。 |