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ジャック・カルティエ フランスの進出
■1534年フランス人のジャック・カルティエはセントローレンス湾一帯をフランス領と宣言。
■当初はフランスの支配力が優勢だった。町の建設や、毛皮の貿易など盛んに行われ、入植者も次々と増えていった。彼らはニューフランスと呼ばれ、イギリスに対しては敵意を持っていた。ニューフランスは先住民のイロクォイ族に内陸への進出を拒まれていた。そこでニューフランスはイロクォイ族と敵対するヒューロン族を味方につけた。
■1640年、イロクォイ族はヒューロン族を攻撃し、フランスはサント・マリー・アマング・ヒューロンズを放棄し、ヒューロン族の国は崩壊した。
■太平洋沿岸のファンディー湾にも別のフランス人が定住し始めた。彼らは”アカディア人”と呼ばれる、フランス系住民である。彼らはニューフランスとは違う考え方を持ち、独自に移民し定住して行った。
 
イギリスの進出
■1583年には、サー・ハンフリー・ギルバートがニューファンドランドをイギリス領と宣言した。
■イギリスの進出は基本的には禁止されていたが、ニューファンドランド島沿岸に定住し始めていた。セント・ジョンズは要塞港と呼ばれ、最大の定住地となっていた。
■1670年、ハドソン湾会社が設立され、北部で毛皮交易を行うフランスと競合しその影響は西部まで及んでいった。イギリス海軍も力を付け始め、17世紀末には武力衝突が相次いで起こった。
■1689年、イギリスから武器を渡されたイロクォイ族は、モントリオール付近のラシーヌを攻撃。
■1692年には、ヴェルシェールを攻撃したが、失敗に終わっている。
 
植民地化紛争
■17世紀から18世紀の英仏間の戦争は、1713年の”ユトレヒト条約”で終結するかに思えた・・・。
■フランスは大西洋の見渡せるルイブールに巨大な要塞を建設し、1744年に再び戦争が始まってしまった。ニューイングランドとイギリスのカリブ艦隊が要塞を攻撃し、6週間包囲した結果、フランスは祖国へと追放されていった。しかし、戦争終結後ルイブールはフランスへ返還され、再び要塞化された。
■イギリスはルイブールの要塞に対抗し、1749年にハリファックスに巨大な要塞港を建設し、大西洋岸の権益を守り続けた。ニューイングランドと親密にしていたフランス系住民のアカディア人は、次第にイギリスへの忠誠心が低いとされ、イギリス植民地に隔離され苦難を強いられる。やっとの事で故郷に戻っていったアカディア人達はまた、一からやり直す事となってしまった。
 
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